吾妻山公園菜の花と曽我梅林ウォーキングツアー

2月15日(土)、菜の花ウォッチングのイベントの一つである『吾妻山公園菜の花と曽我梅林ウォーキングツアー』(主催:二宮町観光協会、共催:グリーンにのみやプロジェクト)が開催された。このウォーキングは吾妻山~川勾神社~曽我丘陵六本松峠~城前寺~曽我梅林迄の歩行距離約12Km の健脚向きコースである。心配された天気も薄日が差す良好なコンデションの中、脚に自慢の町内外からの参加者約50人が、ガイドの方を先頭に二班に分かれて9時半過ぎに駅前観光案内所を出発。先ずは息を弾ませながら急階段を上り吾妻山に向かった。

春の訪れを感じさせる水仙の小道を抜け、「吾妻神社」に立ち寄り吾妻山山頂に辿り着いた。山頂では満開の菜の花が迎えてくれ、富士山、箱根連山、丹沢、大山などもバッチリと見え、素晴らしい景色を堪能した。頂上からは釜野口経由で次の目的地である「川勾神社」に向かった。「川勾神社」では前日から開催されていた『雛の吊るし飾り展』(写真)を見学、社務所に飾られている多数の吊るし雛は圧巻であった。

11時半に曽我丘陵六本松峠に向かって神社を出発、ほどなく小田原市に入り、中村川沿いの道(写真)を歩いているとカワセミの姿も見ることができた。途中、鎌倉古道沿いの「白髭神社」に立ち寄り、里山の風情と緩やかな時に急な上り坂が延々と続く沼代地区を抜けて、ようやく六本松峠に辿り着いた。時計をみると13時近くで、ここでお昼休憩をとった。

六本松峠は、鎌倉時代には足柄道、鎌倉道、大山道、箱根道が交差する重要な峠で、かつては六本の古松があったが、今は石碑と芭蕉の句碑があるだけである。(写真)
筆者は小学生の頃は曽我丘陵の二宮町とは反対側に住んでいたので、六本松には幾度か訪れたことはあるが、それも50年以上前の話で、今回は久々の訪問であった。
峠まで車道が整備されるなど辺りの風景はすっかり様変わりしたが、断片的な記憶を辿っていくと、まだ古松の一部が残っていた当時の情景なども蘇り懐かしさを感じた。

13時半に六本松を出発、急坂を下りながら眼下に広がる小田原市街、富士山、箱根連山のパノラマを楽しんだ。手前には曽我梅林も見え、上から見ると白い絨毯を敷きつめてあるようで、満開の梅が我々を迎えてくれた。途中、「伝曽我祐信宝篋(ほうきょう)印塔」を見学し、「城前寺」に着いた。「城前寺」は日本三大仇討で有名な曽我兄弟ゆかりの寺で、本堂裏にある兄弟などの供養塔を見学した。ツアーはここで解散となり、その後は下曽我駅に向かう人、曽我梅林に向かう人に分かれた。 筆者も今日一日長い行程をご案内頂いたガイドの皆様に感謝しつつ家路に着いた。(TF)

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「吾妻山ものがたり」講演に約50人

 再生協議会地域交流部会は11日(火)、中山史奈子講師(町生涯学習課文化財担当)による講演会「吾妻山ものがたり」を開いた。講演は①「菜の花―吾妻山公園」のできるまで ②吾妻神社の社格昇格と松浦伯爵――の2本立て。会場のラディアンM2会議室に集まった約50人の歴史愛好家は中山氏が独自に作成した年表を繰りつつ、熱心に聞き入った。要点は以下の通り。

菜の花公園―開発と自然保護の狭間で

 吾妻山は、1945年以前は生活に密着した山としての存在だったが、国の法律制定や人口が増えるにつれて必要になった開発は自然保護運動とのせめぎあいの中で今日に至っている。特に1960年代以降には大きな揺れがあり、自然を保護しながら活用し、町おこしの有効な手立てとして位置付ける方向が定着してきた。今や、シンボルになった「早咲き菜の花」について言うと、町から委託されていた公園管理者が何気なくまいた菜の花がぽつぽつと咲いたことを新聞が平成元年に「日本一早い菜の花」と紹介したのが始まり。ほぼ30年を経て今に至っている。

吾妻神社の社格昇格に伯爵の力添え

 吾妻神社の昇格運動は、山西に別荘を構えていた長崎県平戸藩主の三男・松浦厚伯爵の尽力で昭和の初めには大きな盛り上がりを見せた。二宮との関わりを大切にした松浦氏は境内の植樹や鳥居の寄進、多額の寄付を行っている。その後、戦争の期間を含め、「郷社」に決まるまでには多くに時間を要したが、松浦伯爵の貢献は忘れてはならない史実である。また、近年明らかになった資料では、平安神宮や築地本願寺の設計者として知られる建築家・伊藤忠太氏が吾妻神社の設計図面を描いたことを裏付けている。神奈川県出身の唯一の横綱である武蔵山との関わりも深く、昭和6年には相撲興行も開かれた。これらのことは、3月末まで図書館2階で展示中の品々でも確認できる。(YN)

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「ミニニノミヤ」令和元年度 子ども会祭り

 2月9日、ラディアンにて、二宮町子ども会育成会連絡協議会主催の「ミニニノミヤ」が開催されました。
 ミニニノミヤとは、子育連(こいくれん)が主催する、子ども会祭りの今年のテーマで、ラディアン全体を、子どもが働いたり遊んだりする「こどものまち」に見立てたイベントです。
 内容的には、まちやくばで、町民証をもらい、おしごとセンターに行って、おしごとを調べ、おしごとをしたら、銀行にいき「ニーノ」(疑似紙幣)を受け取り、それで 買い物や遊びをするといった、日頃 町民が行っていることを疑似体験するものです。
 当日は、ラディアンに溢れんばかりの子ども達が訪れ、準備されたコーナーで自分で探した仕事をし、その報酬を銀行で「ニーノ」に換え、それで友達の作った品を買ったり、遊びのコーナーで遊んでいました。
とにかく、子ども達は元気いっぱいに、自分の役割を果たしつつ、町民生活を楽しんでいました。 CE

朝のサポーターのミーティング
入場・・・ちゃんと手指の消毒をしています。
「おしごとセンター」で仕事探し
遊び場所の案内とアルバイト(お手伝い)の募集案内
「むかしあそび名人工房」(仕事場)・・・僕も「凧」作りの1員として参加しました。
「銀行」窓口
商店
会場を巡回する 「こども警官」と「場内清掃員」・「アンケート調査員」・・・これも子ども達の役
屋外での 「ひみつきちけんせつ会社」の現場
屋外での「チョークアートにじのあとりえ」

なお、当日の様子は 湘南チャンネル(CATV002ch)にて、次のような予定で放映されることになっています。

「ミニニノミヤ」のTV放映予定
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歌声ダイニング、まる3年―県住宅供給公社

 県住宅供給公社が、住民交流をねらいに百合が丘商店街で開いてきた「歌声ダイニング」がまる3年、36回を迎えた。百合が丘団地の改修を機に月1ペースで開いており、地区内外の根強いファンを引き付けている。同公社は県内の多くの個所で事業展開しているが、こうした企画は二宮・百合が丘が初めてで、異例ともいえる長寿イベントになっている。

 まる3年に達した歌声ダイニングは1月29日(水)、百合が丘商店街の空き店舗を会場に開かれた。参加者は約30人。前回からそれまでのコミュナルダイニングから、広いスペースの空き店舗に移している。主催者が、「今回は36回目」と告げると、会場がどっと沸いた。女性の出席者が8割近くを占め、ご夫婦での参加もある。

 いつもの通り、約1時間かけて10曲以上を歌う。リードするのは公社が派遣するプロ歌手とキーボード奏者。この日は常連の参加者に合わせて昭和20-30年代の曲を選んだという。中ごろには、蔀健夫さんによるポピュラー曲の歌唱も加わった。「ほぼ半分はいつもの顔ぶれ。長く続いいているところに意味がある」。同氏はここの地区で改修を始めた当時の公社専務理事。この間毎回欠かさず出席して自慢のギター演奏を披露している。(MH)

ギター演奏する蔀健夫さん
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一色小6年生の卒業記念、友情の池に「竜のひげ」定植

 一色小6年生は、「卒業プロジェクト」として31日(金)、今月整備を終えたばかりの友情の池の周りに、記念の定植を行った。植えたのは寒暖の両方に強く、しっかり根の張る「竜のひげ」(写真)で、6年生2クラスの児童が代わる代わるにシャベルを振るった。整備されたばかりの友情の池の周りは土がむき出しで、放っておけば池に向かって崩れかねない有様。竜のひげが根を張り、新装なった友情の池をプロテクトすることになりそうだ。 

「竜のひげ」

 池の周りへの植栽は、子ども達の「一色小で過ごした日々を振り返り、楽しかったことやがんばったこと、感じたことや学んだこと、残したいものを考えよう」というプロジェクトの中で決まった。「竜のひげ」の選択には先生のアドバイスがあった模様だが、株数が多く、全員が何株も植えることができた。また、校庭の端に咲いているスイセンも池の周りに移植した。子供たちはもちろん、サポート役の一色小おやじの会、学校運営協議会メンバーの面々も楽しそうに作業に加わった。
 一色小は今年、創立55周年を迎えた。この周年に花を添えるべく、友情の池のビオトープ化工事が進められ、3月初めには竣工行事が予定されている。卒業する6年生の記念定植は、55周年にもう一つのショートストーリーを添えることになった。(MH)

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