「吾妻山ものがたり」講演に約50人

 再生協議会地域交流部会は11日(火)、中山史奈子講師(町生涯学習課文化財担当)による講演会「吾妻山ものがたり」を開いた。講演は①「菜の花―吾妻山公園」のできるまで ②吾妻神社の社格昇格と松浦伯爵――の2本立て。会場のラディアンM2会議室に集まった約50人の歴史愛好家は中山氏が独自に作成した年表を繰りつつ、熱心に聞き入った。要点は以下の通り。

菜の花公園―開発と自然保護の狭間で

 吾妻山は、1945年以前は生活に密着した山としての存在だったが、国の法律制定や人口が増えるにつれて必要になった開発は自然保護運動とのせめぎあいの中で今日に至っている。特に1960年代以降には大きな揺れがあり、自然を保護しながら活用し、町おこしの有効な手立てとして位置付ける方向が定着してきた。今や、シンボルになった「早咲き菜の花」について言うと、町から委託されていた公園管理者が何気なくまいた菜の花がぽつぽつと咲いたことを新聞が平成元年に「日本一早い菜の花」と紹介したのが始まり。ほぼ30年を経て今に至っている。

吾妻神社の社格昇格に伯爵の力添え

 吾妻神社の昇格運動は、山西に別荘を構えていた長崎県平戸藩主の三男・松浦厚伯爵の尽力で昭和の初めには大きな盛り上がりを見せた。二宮との関わりを大切にした松浦氏は境内の植樹や鳥居の寄進、多額の寄付を行っている。その後、戦争の期間を含め、「郷社」に決まるまでには多くに時間を要したが、松浦伯爵の貢献は忘れてはならない史実である。また、近年明らかになった資料では、平安神宮や築地本願寺の設計者として知られる建築家・伊藤忠太氏が吾妻神社の設計図面を描いたことを裏付けている。神奈川県出身の唯一の横綱である武蔵山との関わりも深く、昭和6年には相撲興行も開かれた。これらのことは、3月末まで図書館2階で展示中の品々でも確認できる。(YN)

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