百合が丘児童館と老人憩いの家の生い立ち

 二宮町では、憩の家など老朽化した公的施設の再編が話題になっていますが、「百合が丘児童館」と「百合が丘老人憩いの家」の生い立ちをご紹介します。私の記憶と、当時の資料を突き合せたものです。参考になれば幸いです。

 神奈川県住宅公社(現神奈川県住宅供給公社)は昭和40年11月に二宮団地(現百合が丘)2丁目・3丁目の宅地を分譲しました。ところが公社は土地所有権移転登記に必要な書類を約束の時期までに作成できず、家が建ち、転居してからも登記はできず、ついに昭和42年の登録免許税の値上げにも間に合いませんでした。

 分譲地購入者は「登録免許税の増税前に登記できなかったのは、公社の事務処理の遅延が原因だから、増加分を公社が負担するよう」に団体交渉した結果、「公社は金銭の支出はできないが、分譲地2区画を無償譲渡する」ことになりました。公社との交渉では2丁目にお住いだった弁護士の渋谷 泉氏が活躍されました。

 分譲地購入者はこうして得た土地を集会所(公会堂とよんでいました)の建設用地にすることにしました。二宮団地には集会所の用地が用意されていなかったのです。その後、二宮団地自治会(現百合が丘自治会)が二宮町と交渉して「百合が丘の住民が用意した用地に町が公会堂の建物を建てる」ことになったと聞いています。2丁目と3丁目にできた公会堂が、のちに「百合が丘老人憩いの家」と「百合が丘児童館」になりました。 公社はキンモクセイなど3種類の苗木から希望の1本を各戸にくばる心遣いをしてくれました。  (MT)

百合が丘老人憩の家(2丁目)
百合が丘児童館(3丁目)
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